ブラックかもしれない!?② -あるアロマショップ- 後編

ブラックな職場

ついにアロマショップオープン当日を迎えました。


早朝、ショップに来た僕は、着替え諸々の準備を終えて、

CDプレイヤーとアロマディフューザーのスイッチを入れました。


店内に響き渡る、エディット・ピアフの力強く、

聴く者を感傷的にさせずにはいられない歌声。


誰もが親しみやすいオレンジ・スイートに、

上品さと清潔感を加えた、活力と安らぎを与える香り。


陳列された精油と植物油のビンの位置を調整して、

改めて店内を見回しました。


よし、いい空間になってる。

これなら絶対、お客さんも満足する!


やがてBさんが来てAさんが来ました。

一番早く来て業務をしていた社長も社長室から出てきました。


「あら、すごくいい香り!

 これ、たけぞうさんがブレンドしたの?」


「はい、トップとベースの比率をいろいろ試してみて、

 ちょうどいいバランスになるようにブレンドしてみました」


「やっぱりたけぞうさんはいいセンスしてるわ。

 この調子でこれからもよろしくね」


社長に褒められていい気分のまま、いよいよオープンの時間がやってきました。


最初は、オープンを楽しみに待ってくれていた近所の主婦の方々が、

ドドッと来店してきました。

その後はバラバラと興味を持った方々がショップに立ち寄ってくれました。


精油の紹介をしたり、レジを打ったりと、ちょっとした忙しさがありました。

盛況とは言えないまでも、初めてのアロマショップ店員としての仕事に、

僕は大満足でした。


翌日は、初日とは打って変わってお客さんの入りはだいぶまばらでした。

店外での呼び込みがメインにはなりましたが、それでも来店してくれたお客さんに

精油の説明やその人にあった精油を勧めたりと、充実した一日でした。


そしてオープンの興奮も冷めやらぬまま、ついに初給料日を迎えました。

試用期間のため、基本給は安く、交通費は無しで手元に残るお金は

雀の涙ほどでしたが、それでもアロマの仕事でお金を稼いだという

経験は、文字では書き表せないほどの感動でした。


ちなみにAさんは、最初から正社員の待遇でしたので、25万円近い基本給と

交通費が全額支給されていました。

しかしそれも羨ましいとは思いませんでした。

それほど満足感がありました。


さらに数日が過ぎた日のことです。


Bさんがいつまで経っても出勤してこないので、Aさんに訊いてみました。

すると、


「ああ、Bさんなら来ないわよ。

 社長から出勤しないで自宅待機してるように言われたみたいで」


「ええっ!? なんで!?」


「なんか社長と口論したらしくて。

 店内のレイアウトのこととか、通信販売のこととかで。

 それと接客のマナーが悪いって。

 ほら、Bさんて、語尾を伸ばす癖があるじゃない。

 いくら注意しても直らないって…」


「いや、でも…四人しかいなのに一人抜けるなんて」


「まあ、そんなに繁盛してるわけでも無いから三人でも

 十分というのが社長の判断みたい」


「それにしても…それじゃあまりにもBさんが…」


確かに三人でも業務を回すことは可能でしたが、

僕の社長に対する不信感は日に日に高まるばかりでした。


平日の昼間にアロマショップに足を運ぶお客さんはそうそういません。


ショップだけでの販売はやはり限界があり、Bさんが提案していたように

通信販売を検討する必要があると僕も常々思っていました。

しかし社長は通信販売には反対で、お客さんが来ないならこっちから

売りに行けばいいと、話し合いもほぼ無しで、一般家庭や診療所への訪問販売を

決定しました。


訪問販売をするのは社長と僕でしたが、二人とも全く経験のないド素人です。

当然、売れるわけもなく、すぐに頓挫しました。


その他にも、社長の行き当たりばったりの方針や、気まぐれによる突然の

決定変更に振り回されることが多くなってきました。


さんざん時間をかけてセッティングした営業先との商談でも、

多忙を理由にドタキャンしたり、いつの間にか出張の予定を入れて

荷物運びをさせようとしたり、定時に帰ろうとすると残業を強要してきたり…。


あれだけ楽しかった仕事が全く面白くなくなり、毎朝重い体を引きずって

出勤するのが苦痛になりました。

もう精神的に限界でした。

ブランコに揺られながら考えました。
続けるべきか、辞めるべきか?
それが問題でした。


その日、出勤してすぐに、本日付で退職することを社長に話しました。

社長はものすごい剣幕でいろいろ言ってきましたが、全く耳に入りませんでした。

諦めた社長は、社長室に引き込むと、即席で作った誓約書を持ってきました。

その誓約書には、予想していた通り、以下の項目も盛り込まれていました。


【退職時から一年間は、同業他社への就業はしないこと】


社長に一瞥すると、僕はためらいなくサインしました。


楽しかったけど、短い夢だったな…。


そう思いながら、席を立つと、誓約書を握りしめた社長が言いました。


「今お金ないから、今日までの給料、渡せないからね!」


憎しみと怒りに燃えたその目を見て僕は、


「給料はいらないです。

 そのお金はこのお店のために使って下さい。

 いろいろありがとうございました。

 Aさん、これからも社長を支えてあげてください」


社長とそばにいたAさんにそう言って出ていき、僕は一切振り返らずに

駅まで向かいました。

駅に着いた僕は、妻に電話しようと携帯をポケットから取り出すと

着信履歴がありました。


社長からでした。


一瞬ためらった後、僕は妻に電話しました


「コロブン?

 もしもし、僕だけど…あの…アロマの仕事…辞めちゃった…。

 ごめんね、就職祝い買ってもらったのに…」


「ううん、気にしなくていいよ。

 その代わりちゃんと真っ直ぐ帰ってきてね。

 変なこと考えちゃダメだよ」


妻はそれだけ言って、電話を切りました。


その後、僕と妻はある公園で会いました。


キッパリ辞めたことで身も心も軽くなった僕には、

また新たな活力が湧いてきました。


よし、また一からやり直そう!

当面はまたどこかで介護士でもしながらやりたいことを探そうかな。

次は何がいいかな…。

ITエンジニアとかやりたいけど、資格とか何にもないしな,,,。

まあ、何とかなるだろ!


そんなことを考えていると、目の前にボート乗り場が見えてきました。


「コロブン、せっかくだからあれに乗ろう!

 ほらほら、早く!」


「ちょっと、そんなに早く歩かないでよ!

 介助者なんだから、ちゃんと障害者に速度合わせてよ!

 もう、なんでそんなに元気なの?

 心配して損しちゃった!」


「はっはっは!

 ゴメンゴメン!

 いやあ、ボート漕ぐなんて中学生以来だなあ!」


ボート乗り場に着くと、太陽光が水面に反射して

キラキラととても綺麗でした。




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